日々思ったことや感じたことをのんびり書いていこうと思います。


by symphonic-bone
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あたりまえのこと

最近仲直りをした友達が、わたしの知らない間に変わっていました。
彼は、なんだか自分の気持ちをちゃんとわたしに伝えようとするようになったのです。
なんのことはない、他人から見たら当たり前のことなのでしょうが・・・。

以前、彼は自分の気持ちを話してくれないとか何とか書いたような記憶もありますが、それから今日までの間にいろいろありすぎて過去のことになりつつあるこのごろでした。
仲直りをした(彼のほうはもともとわたしとけんかをしたという意識がなかったらしいのですが)その日にメールを送ってみました。
いつもEメールなる文明の利器で失敗しているわたしですが、それがわたしの、自分を表現する精一杯の方法なのです。
自分で書いてて泣けてきます。
すると、返ってきた返事には、今までの彼とのやり取りの中でもわたしが目にすることのなかった文字が並んでいるのです。
「そらちゃんがそういってくれるとうれしい」
「今日は本当にありがとう」
驚きとうれしさで卒倒しかけました。

でも、誰が見てもありふれた、ごく当たり前の文章ですよね。
わたしはこの言葉のどこを見て、そんなにびっくりしたのか。
・・・読んで驚かないでください。
「うれしい」、「ありがとう」
この言葉に、特にびっくりしたのです。
彼はたとえそんな風に思っていても、絶対口にしない人間だと思っていたからです。

この友人というのは、本当に自分の思ったことを言うことが少なく、長い間一緒にいるのにもかかわらずわたしも未だにつかめないところがあります。
そのせいでわたしは彼を傷つけ、いろいろあったわけですが。
でも、その彼がわたしにこう言うのですよ。
「うれしいよ」
と。
うれしい、というのは間違いなく自分の心の中にある気持ちです。
彼のそんな言葉を、わたしは聴いたことがなかったのです。

正直に言うと、いつも彼の顔色を窺って話をしていたのかもしれません。
「あ、嫌そうやな」
「もしかして喜んでるんかな」
わたしは常にそうやって自分で判断して来たのです。
まぁ、言われてみれば普段から
「うれしい!」
とか
「ありがとう!」
ばかり言っている人も少ないのでしょうが、彼に関しては、顔が見えないメールのときでさえそういう感情を表に出してくれないので、そのこともあってわたしは余計にうれしく思いました。

そうです、きっと当たり前のことなのです。でも、それがなぜそんなにうれしく思えるのか。
下記の詩のようなものは、10月10日に放送された、『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』というドラマの原作になった本の一節です。


 「あたりまえ
 こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
 あたりまえであることを
 お父さんがいる
 お母さんがいる
 手が二本あって、足が二本ある
 いきたいところへ自分で歩いてゆける
 手を伸ばせばなんでもとれる
 音がきこえて声がでる
 …
 みんなあたりまえのこと
 こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
 そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
 なぜでしょう
 あたりまえ

  井村和清(昭和54年1月1日)
  <『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』(祥伝社刊)より>」


これを読んで、わたしは思いました。
「あぁ、確かにそのとおりだな・・・」
と。
失くしてみて、気づくのです。
そのもののあまりの大きさに。
自分が深く悲しんでいるということに。

わたしは、彼といるのは当たり前だと思っていたのです。
メールをするのも、話すのも、一緒に出かけるのも。
でも、一度それを失くしました。そのときに、その大きさに気づいたのです。
当たり前だと思っていた自分がいたから、失くしてしまった。
喜ぶことすらしなかったから、当たり前だと思っていたから・・・。

当たり前のことは、すばらしいことです。
珍しいことはその場限りで終わってしまうことが多いけれど、当たり前のことはずっと続きます。
おとうさんとおかあさんは、ずっとわたしだけのおとうさんとおかあさんです。
秋の空を眺める目も、金木犀のにおいをかぐことのできる鼻も、トロンボーンの音を聴くことのできる耳も持っています。
『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』を見て、その当たり前のことこそすごいことなんだということに気づきました。
そして、わたしを見守ってくれる先輩や友達がいるということに、今わたしがいるということに、彼の返事の内容に、心から感謝しました。

当たり前だと思っていること・・・そのことこそ、一番喜ぶべきなのだと思いました。
そのことは、失くした人しかわからないということはありません。
当たり前だと思っていたことに注意深く耳を傾けて、そしてそのことに感謝したときに、
「あぁ・・・すばらしいことだ」
と、気づくことができるのだと思います。

当たり前のこと。
それはただただ単純に、幸せだと思うことなのです。
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by symphonic-bone | 2005-10-12 13:51 | のんびりしたこと