秋の気配
2005年 10月 25日
気づけばもう、10月も半ばを過ぎて下旬。
11月に向かっています。
秋は本当にいい季節です。空が高いから、すっとしますね。
学校帰りに近くの寺院の石段に座って、金木犀の香りに、また空の透き通るような青さに五感全部を使って時を過ごします。
ちょっと変な人間に思われているかもしれませんが。
読書の秋、食欲の秋、秋にはいろいろ言葉をつけることができます。
わたしにとって秋は、考え事をするのに最適な季節です。
・・・とはいえ、最近ではそうそうマイナスに考えることも少なくなっています。かといってプラスになるようなことを考えて期待しまくりの日々を送っているわけでもありません。
そもそもの、根本的なことをいろいろ考えます。
人間関係において「合う人」「合わない人」というのは、悲しいかなどんな人であってもいると思います。
でも、子どもじゃない限りは、したたかに感情を押し隠して付き合っていくこともできるわけです。
それが大人の付き合いです。
ただ、この間同じクラスの親友に、こんなことを言われてしまいました。
「あの人といると、そらがかわいそう。だって、こんなに悩んでるんだから」
わたしとしては、親友がその相手のことをそういうのもわからないでもありません。
このブログ上でも、わたしはその相手と起こした小さないさかいを逐一書いてきたわけですが、わたしとしては、周りにそんな風に見られているとはまったく気づきませんでした。
「あの人といると、かわいそう」
それは、同情でもなんでもなくて、本心からわたしを気遣っていってくれたのでしょう。
だからこそわたしは、はっとしました。
彼とわたしは、「合わない」のかもしれない・・・。
彼女に指摘されて、初めて気づきました。
わたしは彼の考えていることを知りたくて、もとい相手の気持ちが曇っていて見えないとすぐ不安になっておろおろしてしまうので、彼女は最近自分の殻に引きこもりがちなわたしを見て、そう言おうと決心したようでした。
わたしの場合、それが言われてうれしくない本心であったとしても・・・たとえば
「きもい」
とか、
「お前なんかいなくていい」
だったとしても、それでもそれが相手の「思い」なのだとしたら、そうわかっただけでほっとします。
でも、彼はほとんど自分の気持ちを言葉にしない・・・強いてわたしが言われたことといえば
「そらちゃんはマイナス思考の度がすぎるよ」
という言葉と、
「でも優しいね」
という、なんともいえない言葉であります。
優しいという感覚も、また微妙なところですし。
ともかく、親友によると、そういう人とわたしは、合わないんだそうです。
「うれしいよ」
「悲しい」
「怒るよ」
・・・そうやって、臆面も見せずにわたしに感情をぶつける人、わたしの人間関係の中で必要なのはそういう人なのだそうです。
普段ならそうやねで終わってしまうところですが、秋の風の中いつも以上に考えさせられました。
わたしというこんな人間を、でももしも彼が受け入れてくれるなら・・・多少のマイナス思考には目をつぶり、わたしがネガティブなことばを言おうものなら、真正面から
「そんな事言ったらだめ」
と叱ってくれるなら・・・また状況は変わる気がしますが。
いくら親友にそういわれてわたしが悩み考えても、そのせいで彼との人間関係が切れてしまうということもないとは思いますが、親友に言われたその言葉はこれからも胸に刻んでおこうと思いました。
こんなことをいろいろ考えつつ、今日の練習のことや練習のコラールのことを考えつつ、まぁなんにせよ自分は今の日々を楽しんでいるのです。
優しくも儚い、そんな秋の1日でした。
11月に向かっています。
秋は本当にいい季節です。空が高いから、すっとしますね。
学校帰りに近くの寺院の石段に座って、金木犀の香りに、また空の透き通るような青さに五感全部を使って時を過ごします。
ちょっと変な人間に思われているかもしれませんが。
読書の秋、食欲の秋、秋にはいろいろ言葉をつけることができます。
わたしにとって秋は、考え事をするのに最適な季節です。
・・・とはいえ、最近ではそうそうマイナスに考えることも少なくなっています。かといってプラスになるようなことを考えて期待しまくりの日々を送っているわけでもありません。
そもそもの、根本的なことをいろいろ考えます。
人間関係において「合う人」「合わない人」というのは、悲しいかなどんな人であってもいると思います。
でも、子どもじゃない限りは、したたかに感情を押し隠して付き合っていくこともできるわけです。
それが大人の付き合いです。
ただ、この間同じクラスの親友に、こんなことを言われてしまいました。
「あの人といると、そらがかわいそう。だって、こんなに悩んでるんだから」
わたしとしては、親友がその相手のことをそういうのもわからないでもありません。
このブログ上でも、わたしはその相手と起こした小さないさかいを逐一書いてきたわけですが、わたしとしては、周りにそんな風に見られているとはまったく気づきませんでした。
「あの人といると、かわいそう」
それは、同情でもなんでもなくて、本心からわたしを気遣っていってくれたのでしょう。
だからこそわたしは、はっとしました。
彼とわたしは、「合わない」のかもしれない・・・。
彼女に指摘されて、初めて気づきました。
わたしは彼の考えていることを知りたくて、もとい相手の気持ちが曇っていて見えないとすぐ不安になっておろおろしてしまうので、彼女は最近自分の殻に引きこもりがちなわたしを見て、そう言おうと決心したようでした。
わたしの場合、それが言われてうれしくない本心であったとしても・・・たとえば
「きもい」
とか、
「お前なんかいなくていい」
だったとしても、それでもそれが相手の「思い」なのだとしたら、そうわかっただけでほっとします。
でも、彼はほとんど自分の気持ちを言葉にしない・・・強いてわたしが言われたことといえば
「そらちゃんはマイナス思考の度がすぎるよ」
という言葉と、
「でも優しいね」
という、なんともいえない言葉であります。
優しいという感覚も、また微妙なところですし。
ともかく、親友によると、そういう人とわたしは、合わないんだそうです。
「うれしいよ」
「悲しい」
「怒るよ」
・・・そうやって、臆面も見せずにわたしに感情をぶつける人、わたしの人間関係の中で必要なのはそういう人なのだそうです。
普段ならそうやねで終わってしまうところですが、秋の風の中いつも以上に考えさせられました。
わたしというこんな人間を、でももしも彼が受け入れてくれるなら・・・多少のマイナス思考には目をつぶり、わたしがネガティブなことばを言おうものなら、真正面から
「そんな事言ったらだめ」
と叱ってくれるなら・・・また状況は変わる気がしますが。
いくら親友にそういわれてわたしが悩み考えても、そのせいで彼との人間関係が切れてしまうということもないとは思いますが、親友に言われたその言葉はこれからも胸に刻んでおこうと思いました。
こんなことをいろいろ考えつつ、今日の練習のことや練習のコラールのことを考えつつ、まぁなんにせよ自分は今の日々を楽しんでいるのです。
優しくも儚い、そんな秋の1日でした。
by symphonic-bone
| 2005-10-25 15:34
| 友達とのこと